- 2010年6月16日 23:40

Akira Ichikawaを説明するのは難しい。彼が積み上げて来た実体と、彼を慕う多くの仲間、そこに溶け込むように暮らす毎日。そのどれもが意味を持っているけど、言葉に置き換えることはできないのです。
しかし私が思うのは、市川明は私たち丹後の宝だということです。
幸福を見つけ出すプロフェッショナル
市川氏を語るとなると避けて通れないのは、彼が写真と文を手がけ、グラフィックデザイナーの奥田礼子さんと共に制作する有名ミニコミ誌「ねこじゃらし」でしょう。2ヶ月に1回新聞に折り込まれるこの誌面を、心待ちにしている人は本当にたくさんいます。通称「ねこ」に登場する人たちは必ずしも有名人ではなく、素朴で飾らない人たち、しかも各々の幸福を生きている人たちです。
その各々の幸福を、市川氏はあたかも自分の幸福のように話すのです。そういった人たちに出会った時、彼は「え~感じだなあ」と、子供のような笑みを浮かべながらしみじみと口にします。多くの人が気にも留めず通り過ぎてしまいそうな、一見ごく普通の事柄の中にある幸福を、市川氏は好奇心という心の増幅器によって大きく膨らましているかのようです。彼の仕事人としての側面を考えるとするなら、フォトグラファーである以上に、素朴や現実の中にある本質的な幸福を見つけ出すことのプロフェッショナルだと言えるかもしれません。
そして「しんどいな あ」といいながらもまた、「おもろい人」を見つけては自ら訪ね、話を聞き、写真を撮る。彼のこうした地道な活動が「ねこじゃらし」という誌面を通じ、丹後の人たちに広く知れ渡るのです。それは、本来私たちが知るべきことを知ることができる、情報の恩恵だと言えます。
Photo: Akira Ichikawa
どこかの店頭に置いてある冊子といえば、商業的なものばかり。その冊子にはそれぞれ役割があって作られているわけですが、人間の「思い」は残念ながら殆ど表現されていません。「ねこ」がいかに貴重か、はそういった所からも計り知ることができます。
市川氏は「ねこじゃらし」の他にも、「もりもり」「京丹後sozoro歩き」などに代表される丹後の印刷物を多数手がけている
リアル状況劇場
市川氏は今年、秋頃に「コンパネアート展」というユニークなアート展を企画しています。コンセプトは「コンパネ一枚で何ができるか」。現在15人程に声かけをしており、参加者はコンパネという無機質な素材を、自分自身の想像力で芸術に仕立てます。
会場は市川氏の自宅横にある倉庫「うさぎ家」。もともと業者の工場だった建物です。そう、アートギャラリーでもなんでもなく、一般的な生活道路に面した場所です。そしてこのコンパネアート展に参加する人たちは、いわゆる芸術を専門にしている人たちではありません。
芸術家が芸術をやるのは当たり前だと、彼は言います。芸術家でない人たちが自分のイメージを膨らませ、日常生活のリアリティーの中に新しい感覚を見いだす、そこに面白さがあるのだと。
「うさぎ家」はごく普通の工場。そこに創造的な状況を作り出す事に面白さを見いだす。
※写真はうさぎ家でのある日の風景
私たちが芸術に触れようと考えると、美術館やアートギャラリーを思い浮かべます。ところが芸術家でない人たちがそういったしかるべきギャラリーに出展するとなると、どうでしょうか。場所代や入場料、いわゆる「金」の問題が尽きません。
市川氏は、そういった場所で行うと「演出」が先に立つのだと言います。つまり、本来あるべき「創作」に注ぐパワーが半減し、いかに人を呼び収支のバランスをとるか、いかに「良さそう」に見せるか、といった周辺の状況を整える仕事が発生するのです。それはあるべき芸術にとって邪魔なことかもしれません。
ごく普通のおじさんが、コンパネ1枚のために創造力を最大限に膨らませ、心血を注いで作品を創る。それはスポンサーをつけて芸術に没頭することと比べると、本当にリアルな世界です。そして、しかるべき場所ではなく、日常生活の延長上で突然芸術に遭遇するような状況を創り出すことに、本質的な意味があるのです。
市川氏は自ら発案したキーワード「状況劇場」により、この秋、とても「ええ感じな状況」を魅せてくれるでしょう。その瞬間、市川氏と仲間たちの手によって、芸術はごく一部の人間だけのものではなくなるのです。アートギャラリーが作品を選ぶのではなく、作品をみせる状況そのものを創り出す、それは本当にクリエイティブなことです。
僕は写真を撮る人
彼は2010年の年賀状に、こう書いていました。

彼はこの数年間、常に仕事に奮走し、仕事以外の活動でも人がやらない手間作業を自ら買って出るなど、多忙を極めていました。特に音楽活動の面では頻繁にライブ活動を行い、その成果が実ってまた次のライブの声がかかり・・・と、時間的・精神的余裕が無くなり始めたのです。
その毎日はもちろん、充実していたでしょう。しかしその結果、彼自身の芸術活動=写真を撮る機会が、あまりにも減ってしまったのです。
市川氏は「ねこじゃらし」など、著名な制作物を多数生み出し、その中で多くの写真を撮影してきました。それでも彼にとって一番のアイデンティティは「写真」、つまり自身の表現としての写真撮影なのだと、私は思います。そして、アイデンティティから離れることは、孤独そのものです。誰かのアイデンティティを奪うことは、何人たりとも許されません。もし市川氏が生きること=「写真」であるとするなら、何を差し置いたとしても、私はそれを心から応援したいと思うのです。
あの年賀状は、彼がアイデンティティの場所へ還ることのメッセージであり、自分自身に対する意思表示だったのだと思います。
Photo: Akira Ichikawa
問題や困難をうやむやにせず、本質的に生きることの中に幸福を見いだす。その活動の中でまた新しい出会いに遭遇し、仲間が輪をつくる。そこにはもちろん、彼の持つ人間性が大きくプラスに働いていたのは言うまでもありません。丹後に住む素敵な人たちのことを宝物のように思う、その市川氏自身こそ、丹後の宝だと思うのです。
そんな市川氏も、近い将来、原点に還るのでしょう。
そのあまりにも人間的で自然な流れに対し、私は最大限の協力と、エールを贈りたいと思います。彼の「写真=生きた証そのもの」が多く生み出されることを期待して。どうか、自らの手で自由を創り出す過程を、また多くの人に見せてほしいと思います。
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◆市川明 Akira Ichikawa = 写人
被写体は主に人間、そして人間の生を感じさせるもの。ファインダーの向こう側ですべてを理解されてしまったかのような、実直であたたかい写真を多く残している。
仕事はミニコミ誌「ねこじゃらし」に代表される印刷物の写真撮影、コピーライティングおよび総合的なプロデュース、ウェブ制作のディレクション等を手がける。また、丹後の各所にてアート展を企画し、自らの作品を出品しながら全般的な運営に携わる。音楽活動も勢力的で、アコースティックユニット「マージョラム」ではオリジナル曲の作詞とギターを担当。丹後の風土と人間の感覚を純粋な言葉で表現している。
また、自他共に認める大酒呑みであることでも有名。地元の酒類消費に貢献している。?
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Comments:7
- 夢来菴 2010年6月17日 07:30
商業写真を撮っている同業者は数多く存在し この北近畿にも大勢おられますが 市川さんほど写真や被写体に正対している先輩は中々存在しない。
同業者同士 批判的になり斜めに見たり足を引っ張り合うという情けのない業界にあり 独立峰の如く存在しながらも 富士山の様に自らを誇る様な事もない。 例えれば 人の踏みこむ事のない桃源郷に聳える峰の様な存在か・・・私にとって侵す事の出来ない数少ない写真家の先輩です。
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悠家
2010年6月17日 08:54
>夢来菴さん
コメントありがとうございます。同業者間の件は、残念ながら
悲しい事実ですね。特にクリエイティブな現場というのはそういうことが
起こりやすい気もします。市川さんには、あらゆる足枷から解放され、誰にも邪魔されることなく、
また自由な発想の作品を撮ってほしいと願っています。- 父ちゃん 2010年6月17日 17:22
『市川明は私たち丹後の宝』・・・この言葉がすべてですね。
恐らく誰よりも丹後を愛してる人だと思います。
そしていろんな人のことを「おもろい・・・」と言いますが一番「おもろい」のは市川さんです。- ヒグチ。DX 2010年6月17日 20:05
はじまりましたね、新企画♪
また一回目に相応しい人が・・でもこの人を一回目にやると、もうあとがないような気も・・
いやいや、そんなこたぁないですか。丹後にはおもろい人、一杯いますもんね。気がついてみればイチカワアキラのフィルター越しに丹後を見ている事がよくあります。
丹後のデファクトスタンダードかリトマス試験紙か・・いやいや、同級生の弟以上に
長い付き合いになってしまったような・・・コンパネアート展、趣旨はこないだ聞きましたけど、どんなになるか想像もつきません。
楽しみにしとります♪-
悠家
2010年6月17日 22:34
>父ちゃんさん
たぶん、私が知らないだけで、いろんな遠回りをされたのだと思います。
その結果、丹後を愛している。素晴らしいことです。
熱く語るときも、酒飲んで踊っているときも、「おもろい」です。>ヒグチ。DMXさん
特大版の第1回になってしまいましたが、次からは相応しい人を模索しながら、
発見しながら、楽しんでいきたいと思います。
候補のストック(という表現は変か)は何人かいますので、
1ヶ月に1人とかなら1年以上持ちますが、うまくやれればもうちょっと
ペースも上げたいです。市川さんは私の想う「リベル丹後人」の普遍的な象徴として、
常に君臨することになるでしょう(^o^
ですが、他の人と比べるのではなくて、
それぞれの方がお持ちの独自の尺度、生き方を、面白く伝えられたらと思っています。
- 本人 2010年6月17日 23:20
悠家さんを始め皆さんにはいろいろ良く書いていただいてますが、穴があったら入りたい心境です。
言葉少なにずばっと本質を突く、リベル丹後人を楽しみにしています。「誠意と純粋」これに尽きる社会であって欲しいです。
そんな人たちにはかなわないけど、写真で表現を試みたいと思っています。
後押しいただいて感謝しています。
まだままだいろいろなものが足りてない人間です。
止まったら発破をかけて下さい。
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悠家
2010年6月18日 02:02
>本人さん
ありがとうございました。私が言うのも何ですが、現代は一人の人間が担う責任が重すぎるのかもしれません。
お互いに求められることの量も種類も多すぎて、動かざるを得ない状況です。
けどそれによって心の余裕も失いつつあります。本人さんは、今まで周囲のバランスをとる行動や、誰かの応援などに
かなりの時間を費やしてこられました。
ですので、今度は自分の原点に、時間と情熱を注いで欲しいと願っています。
いい作品のために、自由になってほしい、というのが今の私の気持ちです。本人さんが丹後でされてきたことを築き上げるのは到底できませんが、
表現方法は違えど、私も意志を受け継いでいきたいと思います。



